職場で受けられるいんふるえんざわくちんの接種をキャンセルした。初めて。まぁ、初めてとは言っても、前の仕事の時は接種してないか。今回はころなの事もあって、余計に受けたいところと思っていたんだけど、途中で止めたくなった。何となく。2年前、こばちゃん、ジュリちゃん、石ちゃんが続けて罹患した。接種していたけど、型が違えばそうなるもんね。その時、接種してなかった千晴さんは罹らなかった。千晴さんは「関係ないよ」と言って今年も受けない。


言いたいのはここからなんだけど、私が恐れたのはいんふるえんざに罹るということそのものでは無いって事。そりゃ、いんふるえんざとコロナ、同時に罹ったらヤバイのかなぁなんて思ったりもする。でも、わくちん接種しないで罹った時に、上司から何か言われて批判されるイメージが怖い。怖いと言うか嫌悪感がある。


あ〜私は自分に対してそう思ってるんだなぁと思う。「接種しないでいいのか?皆に迷惑かけるんだぞ?そんな偏った考えしていいのか?非常識じゃないのか?お前はいつもそうだ!」結果が出た時だけ良しとする。今回で言えば、罹らなかった時だけ。接種しないことを選択する自由は、結果が伴って初めて認められる。失敗したら次からはやるな。そういうプレッシャーを自分にかけていることが分かる。


そういう思考と感覚が、起きている。私は時間があると思っているから、原因と結果があると思っていて、又、自分が行為の選択をしていると思っているので、責任や手柄と言う考えが生まれる。「全てはただ起きている。」超シンプルな話しにもかかわらず、ストーリーはリアル。「思考も含め、全てはただ湧いて消えるだけ。理由・原因なく、ただ毎瞬起きている。起こって消えて起こっていない。全体の表現であり、誰かに起きていない。」ホッ。