昨晩、外出先で生理になって大出血を繰り広げたと言う夢を見た。私は今年に入ってから生理が来ていない。もしかしたら閉経したのかもしれない。この時期は来なかったり突然来たりと言うことがあると聞くので、あんな夢を見たのかもしれない。突然また出血することがあるかもしれないし、もう二度とないのかもしれない。

この間ジュリちゃんとそんな話になって、寂しいよねと共感しあった。私の母は40歳の時に子宮をとってしまったので、閉経を経験する親の姿を見なかった。ホルモンバランスが崩れると言う話はよく聞くけれど、生理が来なくなると言うその気持ちをシェアされた事はそういえばなかったような気がする。ジュリちゃんと寂しいねと話ができてよかったなぁと思う。少し年下の女性たちに、また話ができたらいいかもしれない。

私は小学校6年生の時に初めて生理が来て、その日、母がお赤飯を買ってきてくれた。そこからずっと、ほとんど生理痛もなく無事にこの日を迎えられたこと。体にお礼を言いたい。お世話になりました。8年前、500グラムを超える子宮筋腫を作ってしまってそれを摘出手術したけれど、その時も子宮の外に出来たのでほとんど痛みもなく、苦痛を味わう事はなかった。

もう少し様子を見て本当に生理が来なかったら、お祝いをしようと思う。


結婚していない多くの女性がそうかもしれないけど、私も20代の頃は結婚しなくちゃと思って焦っていた。特別子供が欲しかったわけじゃない私でも、出産と言う事はいつも気になっていたし、もっと言えば自分の老後についてとても不安に感じていた。このままでいくと私は自分の人生のほとんどを将来の心配で灰色にしてしまう。最後私が野垂れ死にするとしても、多分どうしようもなくなって朽ちていくのは1週間だろうと思った。その1週間だけ覚悟して、後の人生は気楽に生きようと私はあるときに決めた。その1週間のために、ほとんどの人生を漠然とした不安で過ごしたくないと思ったから。それは本当にナイスアイディアだった。気持ちが楽になった。少し歳をとったので、多少不安になる事はなくもないのだけれど、のんデュアリティのメッセージを聞く機会に恵まれたせいで、不安に飲み込まれると言う事は起きていない。

今年に入って、来るべき日に生理が来ないことが起きてみて、改めて出産する選択肢はなかったのだろうかと今更思ってみた。でも、やっぱりそういう選択肢はなかった。それは起きなかったんだ。

まだ20代だった頃、吉永小百合さんのお母さんが小百合さんのことを思って読んだ歌を聞いて、励まされたことがあった。

子を持つも 

持たぬも人の定めなり

その日その日をつとめていかん


親は心配しているかもしれない。この間母が、私を看取ると言い出した。冗談じゃない。私がすべての家族を看取って、私が最後に死にたいと思っていますよ。寂しさは感じるかもしれないけれど、この家族の中で一番タフなのは私だと思うから。家族にのんデュアリティのメッセージをシェア出来たらいいな。家族だけじゃなくて、本当は沢山の人に紹介出来たらいいよな。

私を育ててくれた家族が懐かしくて心細くなった時、きっと寂しさを感じるだろうなと思っていたんだ。でも、守ってもらっていた感覚を私は覚えているから、そこから元気をもらって生きていけばいいんだと思う。私が先に死んでしまって、親を残してしまうことが心配だと思ったこともあったけれど、それはないらしい。私が死んだら何もないらしい。よかった!

そんな思考が、今湧いている。