お返事

高潔さんへ

こんにちは。楠木です。先日は「カールシュミットについて」のお手紙を頂きありがとうございました。カールシュミットという名前を初めて聞きました。「独裁者の考えが正当なものであればいいのだ。」という発言から、独裁者は自分を「独裁者」だと思っていないということを改めて感じました。


私は母と違い全く政治について勉強不足なのですが、安保関連法の強行採決が行われた2015年の秋は、母と国会前に行きデモに参加しました。強行採決当日は夜中まで正門前にいて、歴史的瞬間だと感じました。デモは平和的で、ドラムやタンバリンなどのリズムに乗ったコールがただ熱く繰り返されていました。主催者の方達が「一人も怪我人を出さない様に」と何度もアナウンスしていて、参加者もそれを理解し、努めました。あの時、音楽やリズムは人の気持ちを闘いに駆り立てることもあれば、怒りを暴走させない力にもなるのだということを教えてもらいました。正直なところ、とても楽しかったです。


その後、共謀罪も可決して、自由に発言したり行動することが出来なくなる可能性があると聞いた頃、「戦前と同じだ」と言う母の言葉に恐怖を感じつつ、思ったことがありました。


政権に言動を制限されなくても、日本人の多くは既に自分で自身の発言や行動を抑制して生きている。(この発想は私のオリジナルではありません)政権からされたら嫌だと思う様な事を、長い間自分自身にはナルホドやっているんだと思いました。もちろん政権が縛りをかけてくるのと自分自身でするのは全く違いますが、もしかしたらもしかして健全な政治を行う一つの側面として大切な要素なのかもしれないと思えました。


「政権の暴走は国民の無力感が作る」と聞いた事があります。本当かどうか私には分かりませんが、国民が自分を縛り、他人を縛り、気力を失っていたら、政権が国民を縛るのは、後は束ねるだけで簡単に出来る事なのだろうなと想像出来ました。国民が自分の感覚に自信を持って自由で生き生きとしていたら、やっぱり独裁にはつながりにくいのでしょうか。そんな気もします。私達が自分に自信を持って楽しくバラバラに(抑圧を解き)生きられたらいいなと思います。そして政治の崩壊の進行と同時にそれは数年前から起こり始めている。2つの事が同時に起こっている。そう思います。


私は母に頭でっかちと言われますので、これで終わりにします(笑)


いつも私の表現を笑って下さってありがとうございます。楽しく働くことが出来ています。


ではまた水曜日にお待ちしています!

楠木薫

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