探求と言うのは苦しいもんだ。望んでいるのは探求の終わり。望んでいるのは私の終わり。それでも分離した個別の自己は自分の幸せを求めてしまうために、探求は続く。探求の終わりを求めつつ、同時に幸せのための探求をする。そこをぐるぐる。もう人生を終わりにしたいと思う気持ちも起こる。それは死にたいという意味じゃない。

何かを手に入れたり目標を達成しようと頑張ろうとする意欲があまり湧かない。一時的にそれをしようと思っても、苦しみを感じる。そこに幸せはないとわかっている事もあれば、何かを求めている感覚自体に苦しみを感じていると言うこともある。

人生は、何かを手に入れることと何かを避けること、この2つの動きしかないと、納得。私の動きはその通りだわ。手に入れることと何かを避けること、どちらにしてもその時、根底には苦しみを感じている。

それも含めすべては起きていて、それしか起きえない。そして今あるもの以外はどこにも存在しない。この"残念なお知らせでもなく嬉しいお知らせでもないただ中立のこのお知らせ"が唯一の救い。