すごく辛いという訳じゃないけど、辛くてボーっとしてしまう。ワタシがいない事をハッキリさせたいなんて思うのに、親が私を認識しない事が辛いんだ。「私だよ!香織だよ!」と心の中で叫んでいる。

どっちなんじゃい!!

でも、「ワタシの働き」が、「何とかしなきゃ」という動きのことなんだと言われて、そのシーンが起きた時には、「これがワタシの働きかぁ」と思うことが出来る。身体は硬く収縮している。そんな時は、訳が分からなくても、脱力してみてる。

 

今日はふと思った。訪問デイって、あったらいいよな。デイに行けない人、いるじゃん。行けないけど、他人との交流や体操とか刺激が必要な人。特に、高齢者ではなくて、それよりもう少し前の世代。復活したい人の為の。

 

それから、今までデイサービスの参加者さんに何かあると、家族に対して病院への受診を勧めてきたけど、そこはもう一度考えてからの提案にした方が良いのかもしれないとこのごろ思う。そして血圧とか脈とかに神経質になりすぎて、逆に参加者さんに対していらぬ不安を与えていたかもしれないとも思った。こちらサイドの基準で。

 

実際は、私1人がそれを変える事はできないと思うけど、もし私が一人でデイを担当するなら、もう少しゆるいデイがいいな。責任なんていうのも負わないの。

 

今日の夜はちょっと疲れちゃって、考えた。

なんかが違ってんだなと思った。

 

これじゃ嫌だ、この状態じゃダメだ、改善しなくちゃ、戻さなくちゃ。それは私の役目だとも思ってる。ずっとそのモード。

 

そもそも、元には戻らない。元、もないというならなおさらじゃん。

 

何か一人で余計な力こめてたのかな。そう思って一人、ベッドでスマホ見てたら、隣の部屋から歩く音。一人でキャスター引いてトイレに行き、水を汲んでのんで、ソファに座って立って、バイバイして帰って行った。

 

いつもなら、すかさず駆け寄る場面。ふーん、と眺めていた。私、何か違ってたのかもな。犠牲になって、いい気になってんのかな。何かに固執してるな。

って言う独り言。

 

 

どうしたらいいかって…。

どうしようもなく、どうもしなくていい、と。

 

ただ起こることを体験するしか。

体験する誰かはいないと、聞いてはいても分からないから、こんな事書いてるんだけど。

起こることを体験する。起こること、感情も思考も含めて。安心しながら体験していい、と。信頼しながら体験していい、と。

なかなかこれが、出来ないわけだ。笑

出来たら楽だろな、これ。

目の前にあるもの。今、ここに訪れているもの。音でも感触でも感情でも痛みでも。縁が起きたもの。今。

 

過去の誰かや未来の誰かをイメージして、期待したり心配したりする。苦しみになる。

 

今、ここに訪れているもの。目の前にいる人。その人の未来をイメージして心配しないで、目の前のその人を見る。

 

やったらやっただけ、裏切らない。

らしい。

 

って今書いた後、たまたまみっちゃんのブログを読んで、似たような(多分ちょっと違うんだろうけど)事を書いていた。