新しい職場に来て10日くらいになった。3−2のユニットに入るのは明日で3回目。人手がないらしくて私と間さんで明日は日勤をすることになっている。人との縁は不思議だなあと思う。「お元気で」と言って見送った間さんと、また一緒に働いている。

 

先のことは分からない。毎瞬、出来るだけ、丁寧にありたい。

 

沢山の情報に触れてきた。苦しくて。それでよかった。今は、情報を取り入れるのがペースダウンしているみたい。よりどころは、ある。

昨日、デイサービスのロッカーに置いてあった私物を片付けに行った。スタッフの皆から贈り物もいただいて、コーヒーを入れてもらって、チーズケーキを食べて、かっちゃんの卵を食べて、そして沢山おしゃべりをして帰ってきた。先の事は考えず、目の前のこと。それはとても気楽。

 

そこではちいちゃんとも話をした。何か考えてたことがすごく似ててびっくりしたんだけど、寄り合い所みたいな、気軽にやりとりできるコミュニティーがあったらいいねって。介護申請をするとか、許可が降りるとかいらないで、誰かの持っているものと誰かのニーズが合致できたら交換し合うみたいな、そんな場があったらいいねって。ちょっと付き添ってほしいとか、沢山あるからあげたいとか、どうしても手が離せないから見てて欲しいとか、1週間分の野菜を急遽届けてほしいとか。家族に頼める人ばかりじゃないし、家族だからスムーズにいかないこともあるから、家族じゃなくたって別にいいじゃんて感じで。イメージしてたことがよく似てて、笑っちゃう。ちいちゃんとはよくそういうことあるんだよなぁ。


次いつ会うかわからないけど、またちいちゃんの話を聞きたいな。

 

いやでもちょっと待てよ。自分についての真実が明らかになっていない私が、そんなふうにエネルギーを向けてしまうのは、どうなんだろう。ある意味、死にに行こうと言うのに、これじゃ生き延びてしまう。

職場に復職するはずだったんだけど、デイサービスには空きがないと昨日言われて、同じ系列の他の施設に移動することになった。デイサービスは無いから入居の職員になるんだ。想像もしていなかったのでびっくり。入居なんて全く考えたことなかったから。

でもとりあえずはそこに行って働いてみるしかない。淡々と目の前のことに取り組むチャンスかもしれない。今までの人格を持ち運ばないでいられる機会とも言える。

どうなってもいいやぁという心境は、楽だな。その思いが100%じゃなくても、絶対こうじゃなきゃ嫌だと思っている時よりは楽に感じる。

 

起きる事しか起きないという事は、分からないままだけど、それでも安心するし、起きることもまた、変化していくんだというのは分かるから、楽になったよね。

 

今、「幸せは手に入らないけど、それは不幸せも手に入らないという事」と読んだ。あ、そっか。

 

少しずつ、握る手の力が弱まってきてる様な感じ。疲れてきたか。

 

死ぬ時には死ぬ。死ぬ時にしか死ねない。家族が悲しんだり苦しんだりしてる姿を見たくない・そんな事あってはいけない・避けたい。そう思う事が苦しい。いいんだ。それが起こるなら、起こって、起こりのままあれば。あきらめろ。

家族を助けられない恐怖と

家族に助けてもらえない恐怖。

恐怖と怒り。

 

でもホント、思考がなければ、このストーリーは無いワ。思考ってカレールーみたいだ。ただの野菜スープに、ルーを投入したらカレーになっちゃう。重くてドロッとしていてさ。カレーは好きだけど、重くてドロッとしたストーリーになるルーは、入れると大変苦しいです。